まだ写真がなかった時代は、自分の姿を肖像画として残せるのは限られた人だけでした。
なので、肖像画のモデルとなる人達も、自分の姿が少しでも良く見える様に描かれる際の服装には、最高級の服を身に付けていた筈です。
それが「王族」ともなると、肖像画は目に見えると「歴史」でもあるので、描かれる際の服装は勇敢に見える鎧姿だったり、王位を象徴する様な豪華な格好でした。
そんな「権威」の象徴だった「肖像画」も革命で身分制度が取り払われると、様々な人達が描かれる様になりました。
しかし、革命後の自由な風潮は「画家」の考え方も変えていきました。
それまでの「画家」は貴族や教会の専属になって、一枚でも多くの「肖像画」や協会の壁を飾る「宗教画」を残すのが「一人前」だと思われていました。
ですが、革命後以降の画家達の中には貴族の顔や聖書の一場面だけでなく、一般の人々の生活や風景を描く事を「芸術」に高めようとする動きもありました。
それが後の「印象派」や「写実主義」に繋がったと考えられています。
そして、近代化が進んだ頃に画家達が好んで描く様になったのはパリの女性達です。
流行の服や自分だけのファッションに身を包んだ彼女達は、自分の方法で自分だけの「絵」を描きたい画家にとって非常に魅力的だったんでしょうね。
特に十九世紀後半から二十世紀初頭に描かれた女性達は、パリを象徴する様な雰囲気を出している事から実物よりオシャレに見えました。
フランスの女性を「パリ・ジェンヌ」と呼ぶのは、この実物よりオシャレに思うイメージが出来たのがきっかけだと言われています。
ですが、モデルになった女性の中には自分の見た目を理解している人も居たので、そんな人達の着こなしを真似る女性も居たと思います。
自分が憧れる人と同じよう綺麗になりたいと思うのは、いつの女性達も変わらないんですね。